とても個人的なくだらない自分史です。がまんして読む必要はございません。妻がそんなものは読まない。私は忙しいと言っています。ひまな人だけ読んでください。
昭和41年4月札幌市生まれです。無口でおとなしい子供でした。
小さい頃は妹をよくいじめていたらしい(ごめんなさい)があまり記憶にない。小学時代は弱小野球チームのキャプテン、弱肩のサード、3番バッターをつとめた。キャンディーズのファンで当時はスーちゃん派でした。 小学生の頃はよく歯医者に通った。歯磨きが雑でむし歯が多かったようです。昭和40年代に子供だった人は皆、むし歯が多かったのです。当時の歯医者は今と違ってものすごく混んでいました。歯磨き指導なんて受けたことはなく(そんな時間は取れないくらい混んでいた)
歯磨き指導なんてないので適切な歯磨きの仕方がわからない→むし歯を作ってしまう→歯医者で治す→どこが磨けてないのか教えてくれないのでどこがウィークポイントかよくわからない→むし歯を作ってしまう
といった <むし歯の再生産>の時代でした。今みたいに予防の大切さが意識されていなかったのですね。でもあれだけ混んでいたら無理もないなーとも思います。歯磨き指導なんてしたら患者さんに余計なことはしてくれるな と思われてしまう時代だったでしょう。私は家で漫画をかってもらえなかったので歯医者の待ち時間に待合室にある漫画を読むのが楽しみでした。たまに待ち時間がなくすぐ診察に呼ばれることがあったりすると 漫画が読めないじゃないか と心の中で文句を言っていました。(自分勝手!)
中学時代は優等生。オール5もとったことがある。1学年450人中だいたい1番の成績で偏差値80の嫌なやつだったに違いない。東京にある高校の受験を希望、中3の夏にある塾の受験合宿(ホテルオークラ)に参加、1番の成績で小さなトロフィーをもらった。ついでに三鷹にあるランちゃんの家を見に行った。(女優になってからなぜかスーちゃん→ランちゃん派になっていた)東京の開成高校あるいは武蔵高校の受験をもくろんでいたが独立には早すぎると秋には親に阻止された。以後、ふてくされて受験勉強をせず、ギターに没頭。それでも内申書のおかげで北海道で1番の進学校に入学。 (こんなこと披瀝するのは恥ずかしいなー)
高校時代 中学生のときに高校の勉強もしていた余力で最初の試験はクラスで2番だった。この時あたりからバンドにはまってしまい、勉強はおろそかに。以後、高校3年の後半になるまで成績は低空飛行。当時のアイドルはチューリップ。札幌のコンサートは毎回、見に行った。大学では東京に進出しようと高校3年になってから死ぬ気で勉強。嫌なやつだったに違いない。人生で1番の努力をしたかも。成績は急上昇、高校最後の試験では入学時程度の成績に戻った。現役で東京医科歯科大学へ進学。すごく歯科医になりたかった訳ではなかった。母親が<歯医者はいいよ。夜中に起こされる仕事じゃないし。> と妹に言っているのは聞いていた。(父が産婦人科医で若いときは時々、夜中に呼び出しがかかり大変だったらしい)気に入らなければ辞めればいいという程度のいいかげんな考えであった。(いかにいいかげんかよくわかりますね。)
大学時代 渡部健ベース教室に通うも才能に限界を感じ1年もたずして脱落。 成績もぱっとせず、かといって留年することもなく家庭教師のアルバイトにあけくれていた。あまり良い先生ではなかったと思う。教え子たちよ、ゴメンナサイ!!高校時代の同級生が多くが上京しており仲間でバンドを組み時々、ライブを敢行。(今も時々、スタジオ等に集まって演奏します。つい最近、金沢で合宿しました。)大学5、6年生の長期休暇、いずれもアメリカでホームステイを1ヶ月経験。友人いわくこの旅行で人間が変わった、成長したと言う。
ステイ先のSarahおばさんの影響大。私の人生哲学の基礎を作ってくださった方だと思う。息子さんが開業歯科医さん(当時で40歳くらい)でオフィスを見学。診療室は個室で広く、日本との格差を実感。他の歯科医院も見学させてもらった。ビデオモニターが天井に吊ってあり患者さんが好きなビデオを見ながらヘッドフォンをつけて治療を受けていた。今でこそ、日本にもそんな歯科医院が登場してきてはいるが、20年くらい前の話ですよ。この差はなんであろうか。大学の勉強では
歯を削る方法のあまりの進歩の無さに失望(誤解であったかもしれません。一般の歯医者さんごめんなさい)、一方で矯正歯科のアカデミックな様子、進歩の速さ等に強く興味を引かれた。当時、矯正科助手飯田先生(現北海道大学矯正科教授)に憧れて矯正科医局に残ることを希望。
大学院時代(20代半ば)泣く子も黙る相馬助教授(肩書きは当時、現日本矯正歯科学会会長)に矯正学を教わる。非常にラッキーだった。とてもかわいがっていただいたと思う。兄貴分は野田隆夫先生。矯正のみならず人生の師、今でも叱ってくれる貴重な先輩。やはり非常にラッキーであった。幸せな矯正開業医でいられるのもこのお二人のおかげであると言い切ってしまえる。上司は選べないものだが本当に幸運な巡り会わせだと思う。院では歯の移動を遺伝子レベルで観察して博士号をいただいた。当時は生化学教室の佐々木教授、下川助教授に大変、お世話になりました。ありがたいことです。感謝申し上げます。
矯正科医局員時代(20代半ばから30代前半)大学院と時期がかぶるのですが今の仕事の基礎を作った時代でした。アルバイトもたくさんさせてもらいました。関わった方に感謝!大学院修了後、20代の終わりに結婚。
33歳で開業医になりました。アメリカ矯正学会に参加してさらに妻を伴い、ロサンゼルス郊外に住むSarahおばさんに久々に会いに行く。お年を召されてお元気かどうか心配していただけに会えて感無量! 本原稿の執筆時点で41歳素晴らしいスタッフに囲まれて幸せな矯正開業医として生きています。(たまに?時々?つらいときもある)